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家が建てられるときの建築儀礼は全国的にみられますが、沖縄も例外ではなく、昔はかなり特徴的な儀礼が各地でみられました。大きな流れとして、①屋敷の御願、②手斧立て(ティンダティ)、③柱立て(ハーヤーダティ)、④棟上げ(ンニアギ)、⑤屋根葺き(ヤーフチ)、⑥落成祝い(スビユエー)に分けられ、各段階で棟梁や家主、神人などが取り仕切って祈願や祝い事を行いました。それぞれの過程では祝詞・呪詞(オタカベ、ミセセル等)や神歌(ウムイ、クェーナ等)が謡われ、おごそかな雰囲気に包まれていたと想像できます。


「紫微鑾駕」の文字が入った板を打ち付ける

現在の地鎮祭の様子

 

家造り(ヤーチュクイ)に関わる歌謡については、『南島歌謡大成』(沖縄篇上・下、宮古篇、八重山篇、奄美篇の全5巻、1978~80年、角川書店)に収録されたものを私たちは目にすることができます。この本は外間守善、玉城政美の両氏が文献や史料、フィールドワークによる採集資料を集大成した大著で、伝承されてきた古謡を網羅的にテキストとして収めたものです。

今回は『南島歌謡大成』(沖縄篇上)の中からいくつかを紹介します。

家つくりの祝詞(島尻郡大里村辺)

此の殿内のこの殿内の
四ちのしんばい四つの隅柱を
八つの金ばい八つの金柱を
植ゑてとゝねて植えて留めて
練てかためて練って固めて
ちいふうねーチイフウネー
まあうふねーマアウフネー
遊ばちたなげ遊ばち遊ばせてたなげ遊ばせて
躍らちたなげ躍らち躍らせてたなげ躍らせて
西の海のくぢらわにさばの西の海の鯨ワニサバが
すうどふちゆる潮を吹く
泡どふちゆる泡を吹く
鬼の外鬼が外
徳や内徳は内
なーうちやーうナーウチヤーウ
(『島尻郡誌』)

 

このオタカベの形式は島尻郡に限らず各地でよくみられるものです。歌の中に「クジラ」「ワニ」「サメ」(注:ワニザメ=獰猛な鮫とも考えられます)がでてくるところが特徴的ですが、これは柱や桁などの木材に宿っている精霊をおどかして追い出す=山に帰ってもらうための表現だと考えられています。山から切り出した木には精霊が宿っていて、そこに住む人間に害を与えることを昔の人は心配していたのです。

次の祝詞はそれに関連するもので、屋敷木を切り倒すときに、木の精に根元で留まって外に出ないように言い聞かせているものです。「木の精を鎮めるために、木の根元に酒、花米を供えて祈願する」と補注されています。

 

屋敷内の古木を切り倒す時の祈願(読谷村座喜味)

きーぬしーや木の精は
きーぬにーんじ木の根で
いーちちみそーり言い憑きなさい
ちちぬしーや月の精は
ちちぬむとぅんじ月の本で
いーちちそーり言い憑きなさい
(『沖縄民俗』一一号)

 

次はオモイ形式の歌で、原典の『山原の土俗』の記述からは屋根葺きが終わったときに謡われたようです。

 

新築の時のオモイ(大宜味)

何々でぃーお年が何々年御年が
十尋屋十尋屋
八尋屋 くぬまびーしが八尋屋を企みますが
占者の前いんぢ 日定めて占者の前に行って日を定めて
百姓集めて 山に登て百姓を集めて山に登って
いんずの木や くんたてゝインズの木をくん立てて
根や倒ち すらん はんち根を倒して 梢を離して
うちなれて かたみやい くんたてて打ち撫でて 担いで くん立てて
黄金柱 うし立てて黄金柱を押し立てて
銀 うちはたち銀(柱)をうちはたち
いんね見れば うち山のいんずの木棟を見るとウチ山のインズの木
竹見れば うち山の深竹竹を見るとウチ山の深竹
かや見れば 里端の祝女がうぇもん茅を見ると里端の祝女の親物
葺き満ちて 大変美ら家葺き満たして大変きれいな家
何々でぃん人の 戸端口ねー何々年の人の戸走り〈戸〉口には
綾が筵敷き拡ぎ綾の筵を敷き広げ
島の根神 うんちけー拝がで島の根神を御招請拝んで
いらいみそーり〃答えて下さい下さい
ちきじ花 はんぢ花ちきじ花 はんぢ花〈以上酒の意〉
黄金瓶にちき立てゝ黄金瓶に突き立てて
しらちやにの雪の御花白種の雪の御花を
黄金盆に敷き飾て黄金盆に敷き飾って
たるま神酒垂れ真神酒
いす御飯 玉御飯立派な御飯 玉御飯を
盛い立てゝ飾て盛り立てて飾って
中桁に にれーないぶーさぎ飾て中桁にニレー鳴り呼ぶ〈鼓〉を提げ飾って
五のやじく 七のやじや五人のやじく〈神職名〉七人のヤジヤ
神遊び神遊び
しぢ遊び しみそーれーるシヂ〈神〉遊びをなさったらこそ
木の精ん うしのぐる木の精も押し退ける
かねー精ん うしはれる金の精も押しはれる
いちぐやん 御助みそーれ大切な願も御助け下さい
(『山原の土俗』)

 

この歌からわかることとして、杣山で木材を調達するのに日取りを決めて、集落の男たちが手伝って切り出し、担いで戻っていたことが挙げられます。また、どうやら集落の根神が儀礼を仕切って、ヤジクという神人が参加しており、ノロはおそらくノロクモイ地に自生しているであろう茅を提供しているのみで、儀礼に参加していないように推測されます。桁に太鼓を吊り下げるという点も興味深いと思います。ここでもやはり、鳴り物や神を招くことで建材に宿っている山の精霊に退散いただくことが儀礼の趣旨のように見受けられます。

この歌ではイジュの木や竹、茅が登場しますが、『南島歌謡大成』(沖縄篇上)には次のように国頭地方での同様のウムイが数点収録されていて、それをみると他に椎(スダジイ)、琉球松、もっこく(イーク)、蔓などの材が登場することがわかります。

 

家ツクリノ祝儀ノトキノオモイ(国頭間切)

<前略>
けたみれば そこ山のんぢよの木桁を見ると底山のンヂヨの木
ぱしらみれば おうのやまのしゝの木柱を見ると奥武の山のシジの木
ちゝみれば やまぐちのしがまつ棰を見ると山口のシガ松
いんねみれば おうのやまのいくのき棟を見ると奥武の山のイクの木
かやみれば やまぐりのいんざがや茅を見ると山口のインザ茅
くびみれば せいそこやまのしゝやだけ壁を見るとセイソコ山のシジヤ竹
しんとりの すいみなわみれば 猿と冠者しんとりの締め縄を見るとサルト蔓
ゆかみれば せいそこやまのしゝやだけ床を見るとセイソコ山のシジヤ竹
あみなあみれば のんつゅかつら編み縄を見るとノンツェ蔓
(『諸間切のろくもいのおもり』)

イジュ

琉球松

イタジイ

イヌマキ

もっこく(イーク)

 

「新築の時のオモイ」でもうひとつ重要な視点は、「何々でぃん人の戸端口ねー 綾が筵敷き拡ぎ(何々年の人の戸走り口で綾の筵を敷き広げ)」という句に見出せます(「何々」というところには十二支の生まれ年が入る)。戸走り口とはいったい何でしょうか?

一般に沖縄の建築儀礼では、屋敷の四隅、中柱、棟木が拝まれますが、このトゥハシリ(戸走り)もかつては同じく祈願の対象とされていました。これが何を意味するかはいくつもの伝承があって断定はできませんが、トゥハシリ=戸柱と解釈して、柱に家の神が宿るという観念があることを琉球大学の赤嶺政信教授は指摘しています。そうすると、家の神が宿る柱に木の精・山の精がいては都合が悪いから、あの手この手で出て行ってもらうというのが、沖縄の建築儀礼が意味するところなのかもしれません。

赤嶺教授はまた、かつて人々の住宅が穴屋だった頃は中柱信仰が明確だったが、家屋形態が多様化するにつれどの柱が中柱かわかりにくくなり、それはトゥハシリ信仰にも影響を与えたと推測しています。詳しくは教授による「トゥハシリ考」という論文をご覧下さい(教授のご厚意により下記に掲載)。

トゥハシリ考:沖縄の家の神ついての一試論(赤嶺政信)(クリックするとPDFが開きます)


海洋博記念公園おきなわ郷土村の穴屋式住居